我が子のそのままを受け入れるために自分を緩める時間を取る
我が子のそのままを受け入れるって、難しいと思っていた。
息子は噛みつき魔だった
まだ息子が一人だったとき。
それはそれは、息子の伝えたいことややりたいことを汲み取って、たくさんしたいことをやらせてあげられる。
そんな親だったと思う。
しかし、二人になってから、難しくなってきた。
なぜなら、体も思い通りに動かない。
息子よりも、娘を見ている時間が多くなったからだ。
そんなおり、息子は思い通りにいかないと噛みつくという癖をつけてしまった。
その噛み癖をなおさなければ!とやっきになって、叱ったことを覚えている。
はぐみ館を運営していた。
娘も生まれてすぐの頃だった。
だから、何かと見ていられない瞬間が出てきていたのを、息子は感じ取ったのだろう。
そして、起こった噛みつき事件。
はぐみ園に通っている、自分より小さなお友達のことを噛みついたのだ。
おそらく、自分の思った通りにいかなかったことが原因だったのだと思う。
例えば、積み木を組み立てているのに、小さな子に壊されるとか。
例えば、車を使っていたのに、車を後ろから取られるとか。
その当時、息子は2歳半。
「噛みつかずに口で伝える」ことを、わかっていても、年下の子どもには伝わらないことにやきもきしていたのだ。
更には、まだまだ感情が先に動くお年頃。
理性より先に、「取られてはならない!」と自分のテリトリーを守ろうとしたのだろう。
それが、噛みつくという行動になってしまったのだ。
この頃から、私は少しずつ、おかしくなっていった気がする。
噛みつきを止めなければという切迫感
噛みつくこと。
それは、相手を傷つけること。
それは、とてもとてもいけないことだと、何度となく言い聞かせた。
別室に引きずり出し、「何回言わせるの!!!」と怒鳴った。
何度も、「あのね、噛みついたらいけないのはなぜ?」と、諭す。
しかし、何度やっても、噛みつく行動は治らない。
なぜ私は、こんなにも怒っているのだろう?
まるで、今までの沸点の温度が100℃だとしたら、50℃…いや、10℃くらいまで落ち込んだようだ。
沸点が低いということは、些細なことでも沸騰するようになっているということ。
沸点が低くなっているということに、愕然とする私。
なぜ私は、こんなにも怒ってしまうのだろう?
些細なことで、イライラしているのだろう?
そう考えれば考えるほど、落ち込んでいった。
落ち込んでいき、自己嫌悪し、自己否定を繰り返した。
そして息子との時間が苦痛になった。
「史ちゃん、息子君をみてあげなきゃだめだよ」の言葉が私を苦しめる
当時友達の中の一人が、息子の状態を見て言った言葉がある。
それは「息子君をみてあげなきゃだめだよ」だった。
私も娘が生まれるまでは、同じような言葉を使っていた気がする。
上のお子さんを優先してあげて。と。
というのも、上の子どもを優先すると、確実に上の子どもさんが落ち着き、子育てが楽になるからだ。
友達も、同じような意味合いと、息子のことを考えて言ったのだと思うのだ。
しかし、私にはその言葉が呪いかのようについてまわった。
しばらく意識できるのだが、長くは続かず。
やはり、息子を怒る日々が続く。
そして、息子がかわいく思えなくなり、二人で側にいて、一緒に遊ぶことが苦痛で苦痛で仕方がなくなった。
対して、娘はとてもかわいく。
娘ばかりを可愛がる日々。
ああ、なんて私はだめな母親なんだろうと苦しくなった。
息子や娘が悪いのではなく私が疲れているのだ
そして、最近、娘はいやいや期に入った。
きゃーきゃー言うし、泣きわめく。
息子の時は「あはは、こんなもんよね」と思えることが、娘には思えず。
「こら!いい加減にしなさい!」と、娘に怒鳴ることも多くなる。
ほんとに、「なんでこんなことで怒ってるんだろ?」と思うことでイライラしたり、怒鳴ったりしている。
ここで気付く。
あ、私、疲れてるんだ。と。
疲れてないときは、余裕もあり、言葉がけもかなり、考えることができるのだ。
しかし、疲れていると罵倒がとぶ。
「なにやっとんじゃ!ばかなの?!」って。
ああ、よほど、疲れているんだと。
自分のために時間を
疲れているときは、休むに限る。
私は、一人になる時間をとっている。
できるだけ一人になる。
そして、ノートに向き合う。
自分は何を求めていて、どんなことがやりたいのかなどを、とことんノートに書くのだ。
たまに、息子や娘のことがどんどん出てくることも。
それもOK。
とにかく、頭の中身を出す。
出して、自分自身を理解するのだ。
今、何を感じ、何を思い、何を考え、行動しているのか。
それを少しでも知る時間を取ることが大事だと私は思っている。
疲れているときは体へのアプローチがダイレクトに効く
他にも、頭をほぐしたり、体をほぐしたりするのもとても有効だ。
体をほぐす、緩める。
先日は、ヘッドセラピーをしていただく機会をもった。
すると、その日は息子や娘がかわいく思えた。
そのままの息子や娘が、受け入れられる。
そんな自分に、すごく安堵した。
ああ、やっぱり私はそういう人だよね。と。
そして、ぐっすり眠った。
それからしばらくは、緩んでいるのか、息子や娘がどんなことをしていても怒ることもなかった。
やはり、緩む。
自分を緩ませるというのは、とても大事なのだ。
私には、言葉で考えたりするよりも、肉体的に緩む時間がとても、大事なんだと実感した。
自分に「緩む」というごほうびを。
そんな素敵な時間だった。
緩むことはそのままを受け入れることにつながる
緩む前は、しばらく緩む機会がなかった。
娘がなにかをしようとすると、「自立しなきゃだめ!」と、強制してきた。
でも、それは私が見立てた未来(ここで自分で食べられなかったら困るとかね。)を、押し付けているだけなのだ。
しかし、緩んでからは「ああ、彼女はそういう時なんだな。」「いつかできるようになるから」なんて、考え方まで緩んでいた。
ここが大事なのだ。
心と体を緩ませる時間、大切にしていこう。