孤育てを卒業するために「持ちつ持たれつ」な世界を
子育てを一人でしなければならないことに私は憤りを感じている。
子育ては本来集団で行うもの
子育てとは、本来集団で行うものだと私は思う。
昔ながらの環境であれば、同じ家屋の中に、色々な立場の人がいて、一緒にくらす。
その中に、子どもという立場もある。
そういう環境が、普通だった日本の昔。
みんなが子どもをみていて、子どもたちは色々な大人と関わることがあって。
それが普通だった。
子どもは自然に育つ。
手をかけなくても。
親がいなくても。
自然に自分なりに、育っていく。
その中で、自分なりの規範を作り、自分なりの自由を見つけて育っていく。
それが子育てだと、私は思う。
※私自身、そんな子育てできているかと言えば、なかなかできてはいないところだが・・・
現代の子育ては孤育て
孤育て。
このフレーズは、色々なところで言われていると思う。
孤独に育てるという子育て。
核家族化が進んでいたり、仕事で父親がずっと不在などのこともあったりと、子育てをするには過酷な環境だと私は思う。
孤育ての状況を、どのように改善しようか。
それを、私はずっと考えている。
孤育て。
孤独を感じると、自分の自尊心を傷つける。
そして、自分は本当にこれであっているのだろうか?
こんなにもやっているのに、手応えを感じない。
子育てに追われて、自分のことなんか一つも考える余裕がない。
そんな状況で、自分の心を保つことなんて、できるわけがないのだ。
それに加えて、出産は、ホルモンバランスが崩れる。
結局、自分でコントロールできる範囲を超えているのに、自分でやらなければならない現状があるわけだ。
何もかも母親がやらなければならない。
家事も、子育ても。
こんな過酷な現状は、変えていかなければならないところだと、私は思う。
子育ては責任が伴うということに縛られている
子育ては、責任が伴うと私は思っている。
ある程度の、しつけを行わなければならないと私は思う。
例えば、食事のマナー。
今はわからないから・・・ではなく、今、いうべきところは言おうという精神だ。
だから、立ち歩いて食べるのはなし。
今は、座って食べる。
立っていくなら食事はおしまい。
そのように、しつけている。
しかし、これって、本当に必要なことだろうか?と、疑問に思う部分もある。
上記で書いたように、子どもは自分なりに規範を覚え、マナーを覚えていく。
そこを、大事にしていた方が、イライラしたり、怒ったりすることがなくなるのでは?と思う。
また、それを母親だけが行うのではなく、社会全体が行えばいいのだ。
しかし、今は、子育ては孤独であり、母親だけがその役割を担っている。
孤独であるがために、母親しか、その規範を教える対象がいないのだ。
だから、子育ては、責任を背負わなければならないと思われるのではないかと、私は考える。
母親だけが責任を背負わなくてもいい時代
これからの世界は、みんなが子育てをしていく時代に変わっていってもらいたい。
母親だけが、子育ての責任をおうような時代は、終わっていかなければならない。
血のつながりがなくても、それぞれが、やりやすい方法で、子どもを育てる環境を支えあえばいいと、私は思う。
得意、不得意があるから、それぞれの得意を出し合って、生活できる時代になっていってもらいたい。
子育ての責任は、全ての人々が少しずつ、背負っていく。
そんな環境にしていうよ。
「お互い様」「持ちつ持たれつ」のシェアハウス
近代がこれから、こんな世界になったらいいなと願いを込めて、私の理想の世界をここに書こう。
まず、子育てするときに、必ず何組かの子育て世帯が一緒に子育てしている。
そして、ご飯や、お風呂、就寝に至るまで、一緒にできる環境がある。
一つ屋根の下・・・という表現が一番あっているような気がする。
それぞれが、役割分担して、この日は私がやる・・・など、協力しあって、決めて、分担しながら生活できる空間だ。
シェアハウス。
そのような感覚が一番だろうか。
個々がやりたいことがある場合は、それぞれがまた、曜日を決めて子どもたちを見合う。
「お互い様」の精神だ。
ここで、共同は嫌なんだ・・・という人は、少しばかり苦手かもしれない。
しかし、共同で自分のやりやすいことをやりやすい範囲でやるというのは、できるのではないだろうか。
例えば、子どもと一緒に遊ぶのがとても上手な人がいた。
その人は、子どもと遊ぶのは上手だから、何時間でも子どもと一緒にいても苦痛ではないのだ。
しかし、家事、掃除、などが苦手で、片付けなども苦手。
そういう人は、子どもを見ている間、他の「家事が得意、掃除が好き」という人にやってもらえばいいと思う。
住み込みベビーシッターと言ってもいいだろう。
他のお母さんが、外で稼ぐことが上手だったり、リモートワークができるようなら、それはそれでいいだろう。
稼ぐことで、家が回るようになる。
そして、その稼いだお金の、何割かを食材費に当てたりする。
少しのお礼を払ってもいいだろう。
こんな形で「持ちつ持たれつ」「お互い様」精神が普通になれば、とてもとても生活しやすくなるんではないだろうか。
とはいえ、どこで線引きするのか?とか、どれほどの度合いの働きを、どのように評価し合うのか?など、色々課題は見えてくるが・・・
一つの、会社だと考えればわかりやすいだろうか。
会社では、それぞれが、お給料をもらってそれぞれのやれることで精一杯働いている。
お互い様な、家族がそれぞれ会社の一員なのだ。
誰がかけても、成り立たない。
そんな会社なのだ。
このような、シェアハウス、兼会社。
そんな生活はいかがだろうか。