仕事と子育てと揺れ動く心
ここずっと引きこもりな私。
ゆえに、何が起こってるかと言えば、息子や娘と過ごす時間がとてもとても増えたこと。
それと共に減ったのが旦那との会話の時間。
常に娘がいることを考えると、娘の前で話をするのが嫌なのだ。
実は、旦那との会話は穏やかにできる自信がなくて。
いや、気分がのるから、とかそういう理由も重なっているだろうけれど。
とにかく今は、旦那との会話は激情するしか考えられないのだ。
だけれども、とにかく言葉をしっかり紡がなければと、昨日は会話をしてみた。
しかし、案の定会話にはならなかった。
旦那の一言「何をしてほしいのかわからないから何もできない。」と。
なぜわからない?
雰囲気を受け取って聞くってこと、やらないの?
なぜ会話できないのだろう。
そんなことを思ってしまった。
仕事のことを話に行ったのも原因だろう。
仕事の内容だから、今どんな状況で、どこに行きたくて、現状がどうで、どうしたいと思ってるから、旦那には何を聞いてほしい。
とか、そういう風に話さなければならなかったらしい。
あのさ、ただ旦那との話をしたかっただけなのよ?
そうか、私、事業の話をしたかったんじゃなくて、私が見ている景色を見て、一緒に考えて、一緒にいてほしかったんだ。
息子との関わりで気づく
まったく違う話をすると、今朝は息子を車で送迎した。
息子は基本、歩いて学校へ行くのだが、今朝は朝食を準備してなかったため、送ることに。(時間的な問題でね。)
そして、息子に対して「やることはやります。」と厳しく伝えた。
本人がわかっているのに、それに追い打ちをかけるように「やれるのにやらない人は怠慢です。」とも。
そりゃ、逃げたいのに逃げられないし、気持ちを聞いてほしいのに聞いてはもらえないし。
そんな正論で捻り潰してしまった今朝。
その言葉を伝えた瞬間、息子は爪をかむ。
私、厳しかったのだろうか?と考えた。
そして、今、ブログを書いているけれど、そこで気づく。
彼に対して私がやっていることを、旦那が私に対してしていたんだと。
同じ世界を見て同じ目線で話を聞いてほしい
そうだな、これだよね。
同じ目線で、同じ世界で、話をしてほしいと私自身が願っている。
上からとか、下からとか、関係なく、同じものを見て、同じものを感じていてほしい。
それでいて、助言はあると嬉しいけれど、そこには大事な「同じものを見てくれる」という安心感が必要で。
その安心感が今、ないのだ。
私から息子に対しても。
旦那から私に対しても。
それはどうやって取り戻したらいいのだろう?
そこはよくわからない。
だけれど、まずできることは、息子の気持ちを聞くこと。
そして、クライアントと話をするように、じっくりと話を聞くこと。
今は完全に「私の思い通りに動きなさい。」「動かないならゲームはできないよ。」と、条件付きで認めているだけなんだ。
話を聞こう。
余力を持とう。
やりたいことが少しずつ見えてきた
私はやっぱり、家を大事にしたいのだ。
お母さんでありたい。
もう一度立ち戻ろう。
私がどんな自分でありたいのか。
何をしたいのか。
まとめ
旦那とのぶつかりあいから、今自分がしている行動を振り返ることに。
もう一度、自分がどんな人なのか。
自分がどこへ向かいたいのか。
そこを見直す良い機会だと伝えられている。