日常の延長線上にある幸せ
私、今日は久しぶりにNLP勉強会に参加したの。
今日のワークは3つあったよ。
- リソース体感ワーク
- 死の床ワーク
- アズイフフレームワーク
冷静さの中にある情熱的な暖かさを感じた
最初はリソース(自分の中の良い状態だったときのこと)をありありと感じるワークだった。
私が選んだリソースは、大学時代に部活で全国4位を取った時の感覚だった。
これを選んだ理由は、私がこれからやりたいことに、選手を育てるとか、これから自分が達成したことを教えていくなどのことがあったから、一番しっくりくるリソースだったからだ。
そして、ワーク内では熱い拳を感じた。
その拳に私は「意志」と名付けた。
意志は私の中に広がり、私を包んで全体を暖かくした。
そして冷静かつ、燃えている情熱のような感覚が私の中に広がった。
そんなリソースの体験だった。
感謝しか出てこない死の瞬間
リソースを感じた次は、死の床ワークというものだった。
自分が死ぬ直前のベッドの中を想像するワークだ。
私はベッドではなく、畳の部屋で、胡座をかいて座り、ヨガをしているところが思い浮かんだ。
あ~、最後まで、そうやって自分と向き合って自分の身体と対話して亡くなってゆくのねと、今の自分とやってることが変わらなくて少し笑えた。
そして、明日死ぬんだということを感じたら、溢れる涙がつ~っと頬を伝う。
ここで出てきた感覚が「あ~私、たくさんの人を幸せにしてきたな。」という感謝の感覚だった。
ありがたい経験を、たくさんさせてもらえた。
- 孫を手に抱き、たくさんお世話をさせてもらえた。
- こどもたちの結婚式に出させてもらった。
- たくさん関わった人が幸せになっていくのを見させてもらった。
などなど。
本当にたくさんの方々と関わって、幸せにさせてもらえて、ありがとうの気持ちでいっぱいだった。
そのワークの中で旦那さんにも会ったよ。
もうすでに亡くなっていたけれど、旦那さんには「尊敬」や「感謝」が湧いてきた。
「やっと会いに行けるよ。待っててくれているかな?あったらギュッと抱きしめてね。」と思っていた。
私の中で、旦那さんはすごく大切な存在なんだと、再認識した。
そしてやり残してきたことの話になったけれど、どうもそこには意識がいかずなにを考えても「あれもやってきた」「これもやってきた」と、後悔を一つも感じなかったのだ。
あ~私はきっと、やり切って生きていけるんだと、そこでとても嬉しくなった。
私が本当にやりたいことは日常の延長線上にある
そして最後に、アズイフフレームワークを行った。
死の床ワークで感じたやり残してきたことをやるのだけれど、私の場合は「あれもやった」「これもやった」という内容の中の一つを選んだ。
それは「寮母さん」だ。
ただの寮母さんではなくて、ごちゃまぜな世代や立場の人達が住む場所のご飯作って出して片付けて、お部屋の整理とかも一緒にする人だった。
一家族として、他人なんだけど一緒に住んで関わっていけるような場所の母ちゃんになりたいと思ったのだ。
そして、その情景を思い浮かべたら、なんとなんと。
すごくすごく、ありありと想像できたのよね。
しかも、それはすごく日常な感じがして、今と変わらない自分がいて、とても安心したのよ。
なんか、とても暖かい、幸せな時間だった。
そして、強く感じたのは「このまま日常を暮らしていけばその生活になる」ということだった。
なぜか、そこが強く思えて、色々頑張るとかではなく、このまま進んでいけばそこにたどり着けるという自信を感じた。
日常が夢に繋がっていて、夢は日常を送ることなんだって、なんだか不思議なんだけれどね。
でも繋がっていて、とても幸せなことなんだと思えたのよ。
私は幸せ
今、チャレンジしているし、色々試行錯誤しているけれど、それさえも、とてもとても幸せなことなんだと今更だけれど感じた。
こどもたちがいて、ワイワイしていて、イライラさせられることも多いけど、それさえも幸せなことなんだと、思えた。
私って、過去も未来も、今も、なんて幸せなんだろうかって思えた。
あ~!私、幸せ~!!
私は幸せです!!
みんなありがとう~!!!