悩む…

本当にこれでいいのだろうかと、最近強く思う。

発作のように癇癪を起こす長女。

先日、寝る直前に宿題の間違いを指摘した。

寝る直前ということは、かなり眠い時間だ。

結果、受け入れられずグダグダしはじめる。

怒って「どこ?どこが間違ってるの?!」と言う彼女に「わかった。そんなに嫌ならもう丸つけはしない!」と言ってしまう。

結果、「丸つけして!!」と「いやだ!!」の火がつき、ぎゃ~!!!!っとなる。

はぁ~はじまった…

毎回、こういう形で火種が大きくなる。

嫌なことは嫌だと伝えてきたけど…

「怒ってやるならやりたくない。」と伝えると「怒ってないもん!」とあ~だこーだ言う長女。

嫌なことは嫌だよと、はっきり伝えているので、今回もそのつもりだった。

でも、彼女としてはそれが発端で発火する。

もうこのままやりとりするの嫌だからこのまま提出しなさい。と伝える。

そしたら「お母さんきらい!」と言われた。

言ってみてるだけなんやってのはわかる。

でも、実際に言われるとキツイ。

「わかった、嫌いならもう、明日から付き添いしない。1人で歩いてね。」と伝えて、その場から離れる。

※最近、訳あって、彼女に付き添いながら、歩いて学校へ行くようにしている。

すると彼女はなきじゃくり「ヤダ!歩いて!」と言ってくる。

あ~あ。やっちゃったなぁ。と思ったけれど、ここは引けない。

なぜやっちゃったなのか…

あ~言えばこういうってなるの、分かってるのに、反応しちゃって心にもないこと言っちゃったって思ったのだ。

「いいえ。1人で歩いてください。嫌いだって言われた人と一緒に歩くのは嫌なので。」

結果、「ごめんなさい!嫌いって言ってごめんなさい!」と謝ってくる。

ここで許しがちだけれど、許しちゃいけないんだよね。

自分が言ってしまったのだから、言ったことで嫌なことが起こるんだって知ってもらわないと困るから。

私自身も、反応して言ってしまったことを、自分が嫌な感覚になったから覆すというのは、余りにも対応として良くないと思っているから。

だから、私は言ったことは押し通した。

すると「一緒に歩いて~涙」「やだ!」「一緒に歩いて~涙涙」「嫌だったらいやだ!」以下同じ繰り返し。

結局泣き続けて30分くらい続くので、もうこちらがおれるしかなかった。

「あのね、あなたが嫌いって言われたらどお?」「やだ」
「そうでしょ。お母さんも同じなんだよ。」と伝える。

これについては、理解してくれた。

その上で、こう伝える。

「ごめんなさいって言ってくれたから、嫌いって言ったことに関しては許します。」

そう、ごめんなさいって言ってくれたのは、お母さん嫌いって言ったことに関してだったから。

「でも、宿題に関しては何度も言っての反抗だったから、そのまま提出してください。
覆水盆に返らずです。
いってしまった、やってしまったことは戻りません。」と伝える。

すると、また泣きじゃくる泣きじゃくる。

結局、泣くのが止まらず、「丸つけしてよ!」となったので、旦那が怒って寝室へ推しやった。

そして、そのまま寝付いていった彼女。

助けて!と言っているんだろうなぁ

ここで、泣いて泣いて収まらないのは、自分では収められなくなっているから、助けて!って言っていることは、十分にわかるのだ。

私自身、イライラしたときに、こどもたちに怒鳴り散らすことと同じで、反応が起こってしまったら、その反応が一旦収まるまでずっと続くのだ。

だけれど、そこの反応起こすきっかけを取り除かないと、何も変わらないので、その引き起こすきっかけを特定しなければならないのだけれど、指摘する…というのは、避けられないことなんだよなぁ…と、悩んでしまう。

例えば、余裕のある時間にやればこうはならないと言うのもわかる。

引き起こしやすい環境(疲れている時間に指摘するとか)を排除するのも大事だなとは思う。

例えば今回だと疲れるであろう、寝る前の時間には間違いを指摘するような宿題をしない。ということ。

実は、彼女は、自らやらなくちゃと思ってる絵日記などの宿題は、どれだけ遅い時間でも「やらなくちゃ」と始めるのだ。

指摘されて自分の思い通りになっていない現実を受け入れたくないということなのでは?と考察する。

でも、それは、現実的に無理なことだってある。

習い事や、私が仕事で夜遅くなることだってある。

そういう時に指摘しないわけいかないわけで…

そういう時は、朝起きてからやった方がいいのか?とか、色んなことを考えてしまう。

今は難しい時期

この、1年生の大変化の時期には、大きな変化の歳なんだろうなと、なんとなく感じている。

確かに、彼女とのぶつかり合いをたくさんしている、今の体制は変えていかなくちゃいけないと思っている。

でも、この時間が完全になくなればいいとも思っていない。

子どもたちは、経験の中から学ぶものだと思っているから。

だから、学ぶ機会を奪ってはいけないと感じている。

今回学んでほしいことは、自分に都合が悪いことでも受け入れて前に進むということ。

都合の良い事ばかりが融通されるわけではなく、嫌だと感じることを引きずって良くなることもある。

だから、大事な経験をしていると思いつつ、炎上してしまうようなやり取りは、途中でやめるようにしようと、思った次第。

さて、今後はどうなるやらや…