子育てでできる唯一のこと
今週火曜日から、長女と2人だけで、歩いて学校に行っている。
彼女がかなり、ゆっくり歩いていて、みんなとペースが合わなくなっていたからだ。
というのも、私が朝、こどもたちに「ありがとう」と伝えるために時間が欲しくて、ゆっくりしてしまい、送ることが多かったからだ。
体力的にだいぶ弱っていたということ。
でも、いつも歩いている他のこどもたちは、元気にしっかりと歩いていく。
どんどん長女は遅くなっていく…という。
結果、彼女が迷惑になっているのかな?と思ったので、ひとまず私と共に、先に出てゆっくり歩いても間に合うようにしようと考えたのだ。
歩いているだけですごいこと
長女と一緒に歩いて思うことがある。
一緒に歩いた最初の日に、長女は、色々お話してくれた。
たくさん楽しいゲームも提案してくれた。
色を見つける遊びや、しりとりなど、退屈なはずの歩く道が、楽しくてすぐに終わってしまった。
そして、帰る時間になって歩き始めたら、とても辛く感じたのだ。
寂しいとか、悲しいとか、色々な感覚と共に、辛いなぁと感じた。
1人で歩くのはとても遠かった。
2人で楽しく歩いていたときは、あんなにすぐに着いてしまったのに。
そこで、ふと、登校している長女の姿が頭に浮かんだ。
ちょっとみんなとはペースが違うけれど、お友達と楽しく行っている姿。
そして、学校へ着いたらホッと一息つく暇もなく、お友達と遊び始める姿。
授業でとことん頭を使いながら頑張る姿。
給食をモリモリと食べる姿。
帰りの母さんを見つけた時のあの笑顔。
長女は、本当に一生懸命に楽しんで、学んでいるんだと思ったら、学校行って帰って来るだけで、すごいことなんだよなぁと思ったのだ。
ちょっと勉強できないとか、ちょっとみんなと一緒に遊べないとか、そんなことどうでもいいんだなって思えたのだ。
私が「迷惑かけてるから早く行けるようにしなくちゃ!」とか「みんなと同じようにできないから、できなくても進めるように環境整えてあげなくちゃ」とか思わなくていいんだろうなと思った。
親ができる唯一のこと
人生色々あるけれど、親がしてあげられるのは、温もりを与えることだけなんじゃないかな?とこのことで思った。
生きていること、学校へ行っていること、経験をしていること。全てにおいて、とても素晴らしいことを彼女達はしているわけだ。
そこへ、何か手出しをすることもできないし、彼女達の人生だから、一緒に考えることはできても、私たちが動かすことはできないのだ。
私としては色々先回りしてやりたくなるけれど、それもまた、置いておいて考えたら「暖かいご飯と、暖かい寝床と、暖かい肌の温もりを与えてあげられればそれでいい。」と、強く思った。
どうこうしよう。彼女のために。なんて、考えるのもおこがましいことなんだと、ふっと思った初日だった。
みんな生きている。ただそれだけで素晴らしい。