私の初心は「私を救うため」

今日、たまたま見ていた動画から
「初心を忘れないで」と
メッセージを受け取った。

私の初心ってなんだろう?と
考えてみた。

私が事業を始めたのは
私が過去の記憶を
大事に大事に抱えていたことにある。

多くの人は忘れてしまったとか
多くの人は扱わないとか
そんなものだ。

でも、中にはちゃんとある
「プログラム」

それを私は
大事に大事にしまっていた。

子どもの頃の記憶を覚えている

私の記憶。

それは偽りかもしれない。

でも、確かに、
「そう思っている」という
自分がいる。

まず最初の記憶は
胎内の記憶。

私はとても暗いところにいて
早く出たい!早く出たい!と
思っているの。

それは苦痛でもなく
とにかく出たい!と思っていて。

そして明かりが見えた瞬間
「女か・・・」という
声がして私はとても
悲しかったという記憶。

これは事実かどうかは
わからない。

でも、私が意味づけをしたのは
出産で生まれてくる瞬間の
時のことだということ。

そして、それが
私の存在全てを否定された。

そんな体験をしたのだと
意味づけたこと。

だから、私は私自身を
否定することが
癖になっているのだ。

その次の記憶は
私は寝そべっていて
動きたくても
動けないでいる。

そこを、姉は歩行器で
縦横無尽に動いている。

それは私にとって
「動けるはずなのに
動けない!」という
ジレンマの体験だった。

私は動けるはず。

でも、動けないんだ。

そんな悔しい思いをしていた。

しかも、それは人と比べて
(この場合は姉)動けないという
人と比べる癖が着いたというか。

あの人はあんなに上手に・・・
とか
あの人のように・・・
とか
やってしまうことが多いのは
この経験が裏にあると
あるときに気づいたのだ。

私のような人を減らしたい

幼少期、そのような
体験をしたことを
私は覚えていて
大事に抱え込んでいたおかげで
うまくいかないことも多かったのだ。

人と比べてできない。

私はだめな人間だ・・・

そんな自分から
抜け出せないで
いたのだ。

そういう記憶を自分が
持っているからこそ
子どもたちには
同じ思いをして欲しくない。

もっと生きやすく
生きて欲しい。

そう思った。

だから、お母さんが
育てるときに
注意できるならば
少しは子どもたちが
変わるのでは?と
思って始めた。

私のような人を
少しでも減らしたい。

そんな思いで
始めたのだ。

まとめ

初心を思い出した。

私は私のような人を減らしたい。

私のように
「自分はダメだ」と
思ってしまう人を
減らしたい。

その原因を作った
子どもの頃の記憶。

そういう思い込みを作る
母親の関わり方を減らしたい。

そういうことを
思い込まなきゃいけない
外敵要因を減らしたい。

そんな思いで
まずは母親。

それからその子自身の
環境を変えよう。

そう思って
イヤイヤ期専門家を名乗ったり
カウンセラーをやったり
託児所を作ったりしたんだな。

ここまで来て思ったことは
私は私自身を救いたくて
ここまでやってきたんだと思う。

私自身が
やってもらいたかったこと
私自身がやりたかったこと。

それを満たすため。

そのために
活動を始めたんだと
気づいた。

私の初心。

それは
「私を救うため」

そんな思いで
やっていこう。

私は私を救います。

そのために
人を使って
癒したっていいじゃない。

だって、私はもう、
やり直せないんだもの。

私は人を救うことで
私自身を救う。

いや、それさえも必要ない時が
くるかもしれないけれど。

だって「救う」ってことは
一生「可哀想な子」がいる
前提だもの。

少しずつ変わるだろう。

でも、今は「救う」。

そのために動こう。