私が私に還るために行う出産

お産とは自然に戻っていくことなんだと、今回思った。

先日、第三子を出産する助産院音々
「音入れコンサート」というものが行われた。

私を担当してくれる助産師さん 高瀬さんのお話では
「私たちが作りたい場を作るのに、
音を入れてもらいたいと思って開催する」と
おっしゃっていた。

音を入れてもらうってどういうことなんだろう?と
あまりよくはわかっていなかった。
しかし、とにかく良い場所になると直感で思い
聞いたすぐから予定を入れた。

ドキドキから始まるコンサート

そして当日。

御代田町中央記念病院 院内 産院 音々 の入り口

コンサート内容はこちら。

入り口に貼ってあったチラシ

受付で名前を書いて、中に入る。

入り口入ってすぐ。
コンサート始まる前のステージ。

始まるまではドキドキ。
なんだかそわそわ。
心が落ち着かない感じ。

そして始まる、コンサート。

産院院長の廣瀬先生の挨拶
ステラ・ツリーのお二人

左がボーカルの天音 ともさん。
(天音さんの本名 堀江 知子 さんのHPはこちらから)
農カフェ わのん さんの創業者だそう。

そして右がギターの天川 博さん。

あとあと聞いたトークの中でのお話だが
お二人はご両親とも音楽仲間ということで
ご家族ぐるみでのお付き合いがあるということだった。

お二人をみていると
とても穏やか〜な空気が流れてくるというか。
心が凪になるというか。
そんなお二人だった。

この時、娘は車の中で寝ていて
気にはなっていたが歌が始まる。

空気がどんどん一体化していく感覚

聞いたことがある曲も何曲かあった

最初はゆらゆらと揺らいでいた空間。
ざわざわした、ざわめきを感じるなかで
3曲聞いた。

そろそろ起きたかな?と車に迎えに行くと、
ぴったり!に起きる娘。
連れて会場へ。

その間は、ギターの天川さんのソロの時間。

ソロの最後の曲は、天川さんのお子さんが
保育園(幼稚園だったかな?)で覚えてきた曲だとのこと。

子どもでも歌える歌。
「にじ」という歌。

とても力がこもっている歌。
その歌の間は、娘と座って聞いていたが、
娘がリズムに合わせてゆらゆらする姿に癒される笑

そして、ソロから再びデュエットへ。

このときから、だんだんと雰囲気が変わる。
暖かい。とても暖かい。
そして、生きている。
鼓動のようなトクトクとリズムを打つような、優しい感じ。

空気が少しずつ一体化していくような感覚。

軽快なトークショーで会場がさらに一体に

何曲かデュエットがあったあと、
ボーカルの天音さんのお産のお話に。

天音さんは、初めての出産の時に
自宅出産をなさったそう。
その際に助産師を勤めたという
松浦 照子さん とのトークショー。

出産について語るお二人

お二人の話は、とても楽しく笑
とても軽快に進んだ。

内容は実は、書き残せるほど記憶に残っていない・・・

でも、何を受け取ったかは、はっきりとわかる。

とにかく、お二人が言いたかったのは
「お産で女性は自然に還る」ということではないかな?と。

お産するということは
命がけなのだけれど
恐れることはないのだと。

天音さんのお産の時は
陣痛が進んだ際に突然服を脱ぎたくなって
全裸での出産だったと。

態勢はシコを踏むような
野球のキャッチャーがとるような感じだったとか。

「バッチコーイ!!」
「いつでもこ〜〜〜〜〜い!!!!」というような
気合の出産だったそうだ。

気合の出産笑

その場の空気が
一緒に笑ったり
一緒に穏やかになったり
一緒にシーンとなったり
とにかく目まぐるしく動く。

でもとても一体化して空気が動くトークショーだった。

自身の振り返り1〜第一子は「頭」でする出産〜

そんなお二人のトークショーを聴きながら
私は自分のお産を振り返った。

第一子(息子) の出産の時は選択肢がなく
一番早くに予約が取れた病院でのお産だった。

こちらの病院。
こちらの病院は事前予約が優先で
その予約が早ければ早いほど
受けてもらえる確率は高い。
おそらく、心音が確認できてすぐ
予約をしないと受け付けてもらうには
困難なのかな?と思われるくらい
受け入れ人数を制限している。

出産の時の様子はうちの旦那が記録に書いてくれている。

こちらの記事にも書かれているが
出産後大出血を起こした私は、
手術、輸血を行い、
生死をさ迷う(そんな大げさではないか笑)くらいになったというお産。

この時はとにかくお産が大変で
痛くてもう二度と出産なんてしたくないって思ったことを覚えている。

大出血を起こした原因なんだけれど
産後色々な助産師さんにお話を聞くと
「促進剤を使った事により
急にお産が進んでしまったことが原因かもね。」と言われた。

結局は、お産の最中に変化していく体に
「頭」が付いて行かなかったんだろう。
そして、「現実の原始的な自分の体との対話」が
できなかったからなんだろうなと。

私自身、頭で考えることがとても多い人だ。
※それでいて、感覚も研ぎ澄まされていることもあるけれども。
だから、お産を「頭で考えて」していたんだと思う。

主人の記事でも出てくるが
余裕な顔してえびせんを食べられるあたり
「まだまだだね」って感じだったのかもしれないな笑

兎にも角にも、頭で考える出産は
非常に辛いものになった。
※今思うと、その後の育児も
「頭と体と心」が乖離している状態での
育児だったような気がする。
(その詳細は、後日話そうと思う。)

自身の振り返り2〜とても楽だった第二子出産〜

しかし、そんな第一子の出産をへて
出産の痛みを忘れた頃に第二子の妊娠がわかった。

今回こそは助産院で産みたいと思っていたので
一番近くの助産院(2016年年末頃のこと)
問い合わせをしてみたが
第一子の時に大出血を起こしていたため
丁寧にお断りされてしまったのだ。

というわけで、検討に検討を重ねた。
結果、産院決定までの時間がかかりすぎたこともあり
前回出産したところはもう予約で満員な状態で入れず。

結局、最後の選択肢である総合病院での出産を決意。

こちらでは、思い起こせば怒られることも多々あった。
それでも、愛ある叱りなのだと受け止めながら
妊婦生活を送った。

中でも、高血圧になりつつあったので
要注意と言われて出産に望む。
※私はもともとBMI値が高いため
血圧が少しでも高いと
妊娠高血圧症候群になってしまう恐れがあるため
要注意だったのだ。

そして、二人目は難なくするん!!と生まれてくれた。

確かに、痛い思いはしたし
体は自由に動かなかったけれど
とてもお産が楽だった。

これは、ひとえに妊娠期間中に体に気を使い
月に一度は体メンテナンスを必ず受けていたことが
影響していたと思う。

また、アクセスバーズ®なるものを産前に2回ほど受けていて
少しでも思考の働かない、リラックスした状態で
お産を迎えることができたからだと思う。

思考で考えて出産をした第一子の時よりも
体の声に耳を傾けられたのだと思う。

とはいえ、第一子の出産で「こんな感じだ〜」というのが
わかっていたからこそのことだったというのも、否めない。

第一子への愛を伝えるための第三子出産?

第三子の出産は、
兼ねてからずっとしたかった助産院での出産。

助産院での出産は
病院での出産と何が違うかというと・・・

自然な形でのお産ができることが
違うのではないだろうか。
※あくまでも、私の解釈である。

それぞれ、お産のスタイルは
違って当たり前だと思う。
ご飯の好みがあるように、
お産のスタイルにも好みがあるはずだ。

こんなお産がしたい。
それを具体的に考え、実践する。

それがより、自然な形で実現できるのが
助産院ではないだろうか。

私の場合、家族で出産を迎えたい。
家族に「私」というものをみてもらいたい。
そして、家族で生まれてくる子どもを育てる。
そのための、全員出産立会いが理想なのだ。

いやあ、書いていて思うが、なんと自己満足だろう笑

病院だと、子どもを同伴させるのは難しい。
※小学生高学年にもなっているお子様なら
同伴させてもらうことも可能だろうが・・・

だから、第二子の出産は助産院で
産みたかったというのが私の希望なのだ。

出産とはどういうものか
あなたはこうやって
大事にされて生まれてきた
生まれる前も、今も、
あなたを愛している

こんなメッセージを
第一子の長男に伝えたかった。

それが、今回、やっと実現するのだ。

って、ここまで書いていて
それは「頭で考えている出産」だとわかる笑

本当にやりたいことは「私」に戻ること

さっき書いた、
「息子への愛を伝えるための
出産である」というのは
やりたいことの一つだが
本当じゃないと思う。

じゃあ、このお産を通して
何をしたいのかといえば・・・

私が私に還るということ。

ここ、大事。

すごく大事。

そう、私が私に戻る。

私ってなんだったっけ?
何者だったっけ?

主婦だった?
保育士だった?
アイデアマンだった?
母親だった?
文章書きだった?

いやいや、全部正解で、全部間違い。

私は「私」なのだ。

私のやりたいことって、なんだろ?と
悩んだ時期がごく最近まであった。

「母親」であり
「事務員」であり
「保育士」であり
「妻」であり
「管理人」であり
「コーチ」であり
「カウンセラー」であり
「御代田町の住人」であり

色々なことをしすぎて
わからなかったんだ。

それが、今回のお産では
より「体と心と頭」を統合する感覚が
わかってきている。

だから、今、色々やっていたことから
意識的に離れるようにしている。

するとわかってくる。

本当に私がしたいことは?
私がしたいことは何?

この質問の答えが出る。

ここに書き記しているのも
私がやりたいことの一つ。

私の言葉で、私の力で書き記す。
それが私のやりたいことの一つ。

それ以外に、今、
とても楽しいと思えていることがある。

それは、炊事だ。

何を食べたい?と自分に聞き
食べたいものを作り
それを心ゆくまで食べる。

不思議と
自分で満足したものを食べていると
食べ過ぎということがなくなる。
そして、体が喜んでいるのか
余分なものを食べたいと思わなくなる。
日常がスムーズに進むようになるというか。

これこそ、心と体に従うということではないだろうか。

節約になるか?と言えば
あまりならない(^^;)
結構食費は使っている。
月額10万くらい行っていたけど
ご飯を存分に作るようになったら
余計にかかっている気もする笑

でも、お金じゃないんだ。

そう、お金じゃない。
心が満たされる。
体が満たされる。
そっちの方が大事。

※声を大にして言うが
今の私にはそれが大事と言うことだ。
例えばお金がなくて困っていてと言う場合は
節約するのも大事だ。
要は、バランスが大事なんだけれど
今の私には「心」を大事にする方が
重要だと思っている。

と言うわけで、今後、
より大事にしていく「私がしたいこと」を
見つけるためのお産なのだ。

「心」と「体」を大事にする時間を持つためのお産なのだ。

これは、ひとえに「自然に還る」ということではないだろうか。

自然に還るお産

自然に還るお産って
本当に気持ちいいのだと私は聞いたことがある。

自分でスタイルが選べて
自分でやりたい方向に向かっていける。

そんなお産を私自身はしてみたい
いや、できる!と思って
第一子、第二子と出産を終えてきた。

しかし、そんなお産はできなかった。

頭と体と心が一体化してこそ
出産が気持ちよく感じるのだと
今思う。

そこへ行きたい。

統合して、よりバランスの取れた
自分になりたい。

そう願っての
この助産院での出産を期待している。

会場全体から感じる「愛」

さて、振り返りはこれくらいにして
ここからはまた、コンサートの話題に戻ろう。

トークショーが終わると
お二人のデュエットに。

目を閉じて穏やかに聞くような曲。

今度は穏やか〜な
柔らかな雰囲気に。

みんなから出ている「愛情」が何重にも重なり合い
糸のように絡まり合い
一つの空間を作っているような。
私自身が誰かの手に抱かれているような感覚。

娘が私の手をしきりに握り
リズムに同調して揺れている。

その姿がなんとも愛おしくて
キスしまくる私。

自分の中から「愛」が溢れてくるような。
そんな、幸せ〜な感覚になる。

本当に愛おしい存在。
いるだけで愛おしい存在だと
感覚で感じる。

私自身のことを。
そして、娘のことを。
その場を作っている人々全ての人を。
そして、ここにいない私に繋がっている人々を。

クライマックスでエネルギーが弾む

そして、クライマックスの曲はとても軽快な曲。

手拍子つきでリズムが弾む曲

さっきの、愛おしい愛で満たされた空気が
今度は一緒に弾む。
子どもがきゃっきゃっと笑うようなリズムで。

ボールがいくつも一緒のリズムで弾む。
そんな空気感に私の心も踊る。

とても楽しいコンサートだった。

泣くのも
笑うのも
みんな感情として必要で
生きている

それをみんなで一緒に作り出した。
そんなコンサートだった。

まとめ

終わって帰ってきてから
ふわふわしていたものが着地したのは
眠った後だった。

コンサートは、場の空気が一体化して
それぞれの「愛」が重なり合う
そんな場になった気がする。

お産は自然に還る。
それとともに、
お産は自分の愛を表現する場所であるとも感じる。

その「愛」は様々な形があり
どんな「愛」も正解であり
間違いはないということを
このコンサートで教えてもらった気がする。

そして、息子や娘に感じる「愛」も
私なりの形があってそれでいいと
自分自身が思えるようなお産にしていこうと
今回のコンサートで思った。

私自身のための「愛」
それは、息子や娘
そして生まれてくる第三子への「愛」に繋がっていく。
そんなことを思ったコンサートだった。