公開出産をしたい

2019-07-27

公開出産をしたいと、最近思っている。

公開出産とは?

文字通り、出産を公開するということである。

ローマ?だっけかの、皇帝婦人の出産なんかは、取り違いがあるといけないから公開出産だったのだとか。

私の場合、オンタイムでネットに流すというのもやりたいことのひとつだ。

しかし、それ以上に、リアルにその場で出産を分かち合いたい。

みんなと、幸せで、楽しいお産を分かち合いたいという思いがある。

例えば、いつもお世話になっている大家さん一家。

娘や息子もとてもなついている。

ぜひ、次の出産がある際には、生まれてすぐを抱き締めてもらいたいと思っている。

それから、今住んでいる自宅を仲介してくださったおばちゃん。

この方にもいつも、息子や娘がお世話になっていて、近所なのでよく、遊びにいかせていただいている。

また、近所のおばちゃんや、おじちゃん。

いつもお世話になってる方々にも来てもらいたい。

そんな思いがある。

公開出産にこだわる理由

私が公開出産にこだわる理由は何か?

それは、みんなで子どもを、赤ちゃんを育てたいという思いがあるからだ。

私は昔ながらの日本の生活が、好きなのだ。

例えば、お隣さんに醤油を借りにいって、代わりにご飯を一緒に食べるとか笑

そんな、「お互い様」精神を持った日本が大好きなのだ。

だが、今、核家族化が進み、隣に誰が住んでいるのかもわからない。

そんな状態では、不安も大きくなるだろう。

でも、昔ながらの生活であれば、「お互い様」だから、とても優しい関わりが生まれる。

本当に頼ることはごく稀かもしれないが、頼れる場所があると思えることで、安心に繋がるのではないか?と思うのだ。

現に、私の運営するはぐみ館は、みんな「あると思うから心強い」と言ってくださる。

私は、そういう空間を自分が作りたいのだ。

そして、あえて、頼れる環境を、出産を通じて作りたいのだ。

出産が誰かのためになる

私は上記でのべたことの他に、もう1つ理由がある。

それは、児童養護施設や、里親で一時預かりされている子どもたちなどに、出産を見てもらいたいのだ。

自分がどれだけ愛されて、生まれてきたのかを知ってもらいたい。

自分には、生まれるだけの奇跡的な力を持っているということを思い出してもらいたい。

そんな思いがある。

これは、押し売りでしかないのかもしれない。

それでも、それで救われる命があるかもしれない。

それで将来が変わるかもしれない。

そんな思いがかなえばいいなと、思っているからだ。

公開出産をすることへの抵抗

公開出産は、「そんなもの見たくない」と言われるんだろうなと、心の奥底では思っている。

赤の他人が。

繋がりもなく。

出産を公開している。

そんなの、見たくもなんともないんだろうなと。

でもね、それって書いていて違う気がした。

公開出産をしたいなと思うようになってから、ネットで色々調べるようになった。

そして、YouTubeなどで、たくさん動画があげられていた。

その動画を、息子や娘と見ながら

「赤ちゃん出てきたね~」

「こうやってあなたたちは生まれてきたのよ~」

「次は、あなたたちにもこの姿がみられるからね~」

そんな会話をして。

その間、息子や娘は真剣に?(少なくともそう見える)見ている。

とても幸せだ。

そして「感動」がある。

思えば、その動画を見ながら、息子や娘が生れた時のことを振り返っていた。

私があなたたちをうんだときは、こうでね、あ~でね。

子どもたちにそんな話をした。

子どもたちが無事、生まれてきたことへの感謝した。

そして、生まれてから今までを、走馬灯のように思い出していた。

今の息子や娘を見て、「本当に大きくなったんだ」と、これまた感謝をした。

感謝と感動。

私は、自分の出産を公開することで、この「感動」を分かち合いたいのだと思う。