娘の熱性けいれん~気づかされること
昨夜、娘が三度目の熱性けいれんを起こした。
二度目は年末。
あのときはインフルエンザだったが、今回はまったくよくわからない。
二回目同様、熱があがったことさえ気づかなかった。
しかし、そんな彼女。
たくさん信号を送っていたのに、私が見逃してきた。
子どもの言うことはあてにならないと否定している私
二回目の熱性けいれんがあったことで、なんとなく熱が出るんじゃないか?兆候がわかるようになった。
- ほほががさがさになる
- 寒いと訴える
- 気持ち悪いと言う
- ごはんを残す
- 寝不足
こんな感じだ。
しかし、それらの行動や発言があったとしても、私はこう思っていたことに今回気づかされた。
- 嘘でしょ
- そんなに酷くないでしょ
- 領いいから苦手から逃れようと
あらあら、まぁまぁ。
子どもの考えてること、全否定だ。
そりゃ、受け取れるものも、受け取れないよね。
否定することで何を得ているの?
私は彼女の考えてることを否定することで、何を得ているのだろうか。
- 私が私の意見を肯定できる
- 彼女をコントロール下に置きたい
- かわいいままの娘でいてくれる
- いつまでも愛でる存在であってほしい
こんなメリットというか、願望があったのだ。
そうか、まだまだ娘にはかわいい、癒しの存在であってほしかったのだ。
しかし、彼女も一人の人に成長していくのだ。
それを受け入れていかなければ。
私自身が成長しなければ。
彼女をよく見て、彼女の言動や行動を信じて。
前に進めと、言われている気がする。
彼女のペース、彼女のイライラ、いろんなことを私は「受けとる」必要がある。
いや、ちょっと違う。
私は「受けとりたい」のだ。
向き合う決意が必要なのだ。
彼女と向き合う。
すごく労力の必要なことなのだが、冷静に彼女と向き合う。
対等な「人」として向き合う。
これができることで、また私は成長するのだろう。
彼女との関わりの中で、たくさん学ぶのだろう。
よし、怖いけど向き合う。
さぁ、どんな結果が得られるだろうか?