見失わないように。
実は私、教員免許を持っていて。
中学校教員やっていたこともあり。(ずっと臨時採用だったから、担任とか持ったことないけどね。一年間通してカリキュラム通りに教えるとかしてきた。)
でも、教員をやめてしまった。
その理由はね、型にはまる仕事が嫌だったから。
なんでもかんでも数値化しなきゃ評価できない。
しかも、評価基準に外れた行動は止めなくちゃいけない。
他の教員とほぼ同じ内容を教えなきゃいけない。
主任先生の言うことは聞かなきゃいけない。
議論を交わすまでもなく、学ぶ時間さえもなく、サポートではなく、教える側に立たなきゃいけない。
そんな教員の世界が嫌になったのだ。
そんなことしなくちゃいけない学校なら、先生やりたくないって思っちゃったわけだ。
でも、もし、全部自分で決めてよくて、(学習指導要領には則る必要があるけれど)誰にも評価されなくて、議論をしながら子どもたちがよりよくなるための指導ができる学校で教員ができるなら、またやってみたいか?と自分に問うてみた。
すると、答えは「YES」だった。
で、たまたま、たまたま見つけた教員募集の要項。
きっとご存じのかたも多いかもだけれど、うちの近くにそういう学校(子どもが主体で、子どもが決めて作る学校)があって、来年度からの教員を募集していたのだ。
ここで、ざわざわしはじめたのだ。
私がもし教員に応募するんだったら…と。
やりたい?やりたくない?
教員、やりたいなと思った。
この学校なら、私がやりたかった「子どもが主体で学ぶ」が実現できるだろうと。
私自身も成長するだろうと。
何より、大きな手応え(やってよかった!!という実感)と、ワクワクがあるだろうと。
思えば思うほどワクワクした。
だけれど、ここで浮かんでくることは、家族のこと。
来年度教員になるということは、子どもたちを保育園に預けることになる。
保育園、どこの保育園にするんだい?と考える。
4月入園ということは、息子が入学するのと同時なわけで、色々読めない(入学してみなければわからないことがたくさん。)のに更に、新しい職場で新しいことはじめてって、きっと私の頭はキャパを越えるだろう。
すると、イライラしちゃって我が子とはぶつかることが多くなるだろう。
余裕がなくなるというか…
そんなことになったら、本末転倒なのだ。
家族と穏やかに過ごす時間を壊す。
これはやりたくないことだ。
私の中の優先順位がここではっきりした。
その学校での教員はやりたい。
でも、今は。
今はだよ、家族との時間の方が大切にしたいのだということを。
今じゃない。
そしてここで、私がやりたいことがより、明確になった。
私は母親として「行ってらっしゃい」と送り出したいし、「おかえり」と迎えたいのだ。
それは自宅でなくてもいいのだが、とにかく子どもが帰ってくる場所でありたい。
そんなことを、今日参加した講座のなかで、ふと考えていた。
その矢先の試練か?!とても言う教員募集の記事。
私が大切にしたいのは何なのか?
私が大切にしたいのは家族なのだ。
他の誰でもない、家族なのだ。
だからこそ、今、大切にするのは家族との時間なのだ。
そう考えたら、今じゃないんだと、すんなり思えた。
すっきりしたというか。
我が子は共に成長するパートナー
なぜあの学校で教員をしたいのか?を紐解くと、「私がやりたいように教えられる」ことと「子どもが自発的に学べる」ということだ。
試行錯誤しながら、子どもたちのために最善をつくす。
子どもたちも自発的に最善をつくす。
互いに互いの成長を促せる良きパートナーでもあるということだ。
それは、我が子との中で作り出せる感覚ではないかと、私は思っていることに気付く。
いや、我が子との間にこそ、それを作る必要があるのではないか?と。
息子とは、最近は主従の関係性になってしまっているように思う。
いや、もちろん、そればかりではないと思うが、パートナーとはとても呼べたものじゃない。
ここで、まだ私に子どもが生まれていない頃、バイト先の託児所でお母さん方に言っていた言葉。
「子どもたち、たくさん考えていますから、聞いてあげてくださいね。」
重みがある言葉だ。
そうだ、彼らなりに、たくさん考えて動いているのだ。
だからこそ、互いにどこへ向かいたいのか、どうしたいのか、共有しあう必要があるなと。
まずは、彼らの話を聞こう。
聞いて聞いて、聞こう。
とにかく聞こう。
あ~もう!って思うこともあると思う。
そう思って、それを言っちゃったとしても聞こう。
聞いた上で、私も話そう。
そうすれば、私自身また、ひとつ大きくなるだろう。
彼らと共に成長していく。
それが今の私がやれること。やりたいことだ。
まとめ
私、教員になりたかった。
でも、きっと我が子を置いてけぼりにして、他の子を見ることはもうできない。
※我が子と共に見るとか、我が子といない時間に見るっていうのは勉強になるから続けたい。
わたしは我が子と共に成長することを最も望んでいるから。
わたしは我が子の「帰る場所」でありたいから。