やってあげなきゃオバケにさよなら??
出たよ出た!
その名も「やってあげなきゃオバケ」笑
なんか、ずっと取り憑かれていたみたい!
やってよって誰が頼んだよ?笑
私ね、色んな人を巻き込んじゃぁ、困らせてきたんだなぁと思うのね。
最初は母から。
母はさ、さみしい人だったわけよね。
※もうここで、上から目線だわ笑
(私から見たらさみしい人に見えたわけですよ。本当かどうかはおいておいてね。)
だから、私が「笑ってあげなくちゃ」とか「かばってあげなくちゃ」とかかわいそうと思って一生懸命母の代わりをしようと思ってた幼少期。
でも、それって「誰があんたに頼んだわけ?」な案件なわけですわ笑
母が「かまって」とか「笑ってくれなくちゃ死んじゃう!」とか「あんたがやってくれないからうまくまわらないのよ!」とか言ったわけじゃないのにね。
なぜか背負いこんでしまう性質な「私」が作り出した「やってあげなきゃオバケ」が原因だったわけだ笑
巻き込む力があるのは良いこと
その「やってあげなきゃオバケ」に取り憑かれてると、どうも「やってあげたい」からたくさんの人を巻き込んじゃうんだよね。
そうすると、多大な迷惑をかけることもしばしば…
物事はシンプルなはずなのに、やってあげたいから、複雑にするのも、「やってあげなきゃオバケ」が憑いているからだった。
ただ、巻き込んじゃうことがいけないことではなくて。
巻き込む力は良い方向へ使えばとても良いのだ。
しかし、その行動にかかる「近くの影響」や「自分の行動した先の先に起こること」を考えなくちゃということに、気づいたのだ。
「やってあげなきゃオバケ」とうまく付き合う
かといって、この「やってあげなきゃオバケ」は私の性質なわけだから(陰陽六行の立佳ちゃんに言われた)消えるわけはないわけで。
だから、うまく付き合ってかなくちゃいけないわけだ。
さて、これからどう過ごす?
これからどう向き合う?
ここが課題になりそうな、そんな2022年の始まりを迎えている。
まとめ
あ~気付けて良かった!
やってあげなきゃと思っていたものを、どんどん手放しつつ、本当にやりたいことに力を向けていくのが2022年な気がしている。
さぁ、今年も走り抜けるぞ!!