価値観が同じ人と繋がりたい
私が何をやりたいのか。
何かに向けて打ち込みたい。
何かにつけて私自身が打ち込みたい。
そんな思いでいっぱいだった。
子育てに打ち込んできたときは、良かった。
子育てに集中していられるなら、それが1番良かった。
でも、成長するにつれて、たくさんの関わりが増えていく。
特に保護者との関わり。
でも、実際、人付き合いは辛い。
たくさんの保護者や、たくさんの地域の人との関わりの中で、苦しむことがたくさんある。
みんなが敵だと感じてしまう事もある。
※それは自分の不注意が作り出してしまったことなんだけれど。
そんな苦しい状況のとき、ふと、「そうか、誰とでも関わるのを辞めればいいのか。」と、ふと、思った。
私の価値観と合う人とだけ関われば良いんだと。
※誰とも関わらないは無理なので、私の価値観を押し付ける?のを止めるといったイメージ。
私の価値観とは?
できない人も、できる人も、互いを思いやり、助け合って生きる。
そして、その人の気持ちの中に「やりたい」を見つけて、その「やりたい」を叶えて上げられるよう、仕組みを整える。
努力して勝ち取りたいなら、一生懸命努力できるように一緒に考えてサポートする。
ゆるやかに穏やかに過ごしたいなら、ゆるやかに穏やかに過ごせるような環境を一緒に考えて整える。
それは、私たちが提供するとか、支援するとかだけでなくて、相互に考えて整えていきたいの。
共に考えながら、共に成長し合いながら、生きていきたいの。
だって、私たち支援者、親も、こどもたちから、たくさん学ぶことがあるもの。
初めての世界に飛び込んできた人も同じ。
不安で、失敗したらどうしよう?とオロオロしている人の「カバーは私がやるからね。大丈夫。あなた1人で背負わなくて大丈夫。」って、みんなで背負える、そんな世界でありたい。
そんな世界で生きていきたいの。
現実と理想の狭間で
でも、現実は違うらしい。
共に成長し合うという意識はなく。
また、「成長しなくてもいい」という概念もなく。
全てが失敗してはいけない世界になっている。
共に生きるという考え方がなんだか、他の人と違うのかもしれないなと気づいている。
例えば、任されている仕事ができなかったら責められる。
できなかった側は「失敗したら怒られる」と思ってるから、余計に相談できない。
責められないで、自分と共に歩んでくれる人がいたらいいな。
そんな思いで、今はいるところ。
私が今できる具体的なこと
やってみたけど、できませんでした。
そんな状況にならないように事前に話をしておきたい。
どこまでならできるか?
何をやったらできたって言えるか?
サポートは、どこからどこまでしてもらいたいか?
どこへ行きたいか?
一番大事なのは、サポートされる側の「どこへ行きたいか?」を共有しておくことなんじゃないか?と思う。
私は、そこを大切にしたい。
だから、コーチングをするんだよ。
そうだね。
教える、とか、やってみたら?というものではなく、どうしたらいい?それを一緒に考えていく。そんなことを伝えていけたらなと思っている。