私はご先祖さまの命を受け継いできた

昨日の講演会の中で、大泣きして自分を承認する瞬間があった。

私は一人ではできていない

講演会のパネリストのお一人が、内藤先生だ。

看取りの専門の先生だ。

その方のお話の中で、ご自身の家系についてお話をされていた。

一族のお話をされていた。

お母様は、内藤先生が講演会を開く度に足を運び、「専門用語が多かったんじゃないの?」などと、批評をしてくださるのだとか。

そんなお母様の話を聞いていて、涙が止まらなかった。

今、私があるのは母がいて、祖母がいたからなのだと。

私が祖母を看取った意味

私は祖母の見取りをしている。

祖母が最期の時を迎えるとき、私は祖母の手を握っていた。

母とともに。

祖母が最期、逝く前に声なきこえが聞こえた。

「ありがとう」と。

はっきり言っていた。

声はもう、出なかったのだけれど。

はっきりと口を動かして言っていた。

そのときの瞬間を忘れられなくて。

本当に、ドラマの中で見られるような感じ。

病院で人がなくなるときに、ピッピッと心音計の音が聞こえる中。

ピーと最期の音がなる。

そして医者が目を確認したり、脈拍を確認したりしてから、「ご臨終です」と伝えられる。

そんな場面にいたのは、祖母の親族の中で、私と母だけだった。

私は、その瞬間、祖母に言った。

「おばあちゃん、逝かないで!」

「おばあちゃん、まだいっぱい聞いてほしいことあったのに!」

寂しかった。

逝ってしまうことがとてもとても、寂しくて。

私が大学入ってすぐの、ホームシックになったころのゴールデンウィークだった。

最近、その思い出が蘇ることが多い。

祖母は私に何を渡したかったんだろう?

祖母は私に何を伝えたかったんだろう?と。

結局、その意味はわからなかった。

でも、今回の講演会を聞いていて、私は祖母のエネルギーを受け取ったんだと。

私の中で、祖母は生き続けているのだと。

そう感じて、号泣したのだ。

祖母から母へ。母から私へ。

祖母は、とてもとても小さな人だった。

背丈が低いという意味で小さいということだ。

しかし、心は何もかもお見通しのような大きな感覚だった。

真っ白な白髪をきれいにまとめ、素敵なお着物を着て、うちへ来るときが何度かあった。

いつもうちへ来るときは(電車やバスで1時間くらいかかる道のり)、お土産を持ってくる。

そして、ご仏壇へお供えして、手を合わせて、少し話をして帰っていく。

そんな祖母は、母にはとても厳しかったという。

祖母は、子どもが5人いる。

そのうち男子(私からみておじさん)は1人。

残りの4人は女の子。

母は、その一番下の子どもとして生れた。

母と一番上の姉(私から見たら叔母さん)とは、12も離れているらしい。

だからなのか、叔母さんにたくさん甘やかしてもらったらしい。

でも、母は母なりに、我慢をしたり、さみしい思いを抱えたりして育ったようだ。

だから、母が私たちを生んだときは、色々あったとか。

私が、母に育てられて思うことは、本当に厳しい母だったということ。

しかし、祖母は母をずっと気にしていた。

気にしていなければ、祖母はうちには来なかっただろう。

そして、祖母は私たちに会うたびに、私たちを可愛がってくれた。

お金をくれることがほとんどだが。

本当に、母と物の言い方がそっくりで笑

今思うと、祖母から受け継いだものなんだなぁと、はっきりわかる。

そして、母は、私をとても可愛がってくれているんだと思う。

思い返せば、私が入賞したり、新聞に載ったり、テレビに映ったりするたびに、チェックして残している。

最近はあまりないが、本に載ったりすると、すぐ買いに行って読んでいる笑

内藤先生のお母様との話が、あまりにも私の母との関係に当てはまりすぎて。

そこで号泣してしまった。

母は、母なりの愛し方を、精一杯してきたんだと。

そして、私はいつまでたっても、どこまで生きても、母が死ぬまで、母の子どもなんだと。

切っても切れないものなんだと思ったら、私の中の愛が溢れ出すような。

そんな感覚に涙が止まらなくなった。

止めどなく流れる涙が、自分が抱えてきた「愛されてない」という寂しさを浄化してくれているような。

そんな感覚だった。

私から子どもへ、子どもから孫へ。

講座中の待ってる時間、湖に見惚れる二人

これから私は、我が子へ残し続けるのだろう。

私が生きた証を。

命を使って命を次の世代に渡して。

命を人に託して残していくのだ。

そして、それは消えることなく受け継がれていく。

私の命のつながりが、孫へ。

そのつながりがひ孫へ。

そんな風に、繋がっていくのだ。

そう思ったら、私が今、なにかを残さなくちゃ!って焦っていることは、無駄なことなんだと肩の荷が降りた。

なにかを残そうと思わなくても、生きているだけでなにかが残っている。

だから、もう焦らなくていい。

今を一生懸命生きることで、命を残すことができるのだから。

これで私は、またひとつ統合された。

大切なものを、大切にする。

それが今の私がすべきことなのだ。