おせち料理が嫌なものから「美味しいもの」へ
昔々、私の実家ではしっかりとおせち料理を作っていた。
私はその手伝いをしていた記憶がある。
お煮しめに使うこんにゃくをまきまき。
栗きんとんのきんとんをこしこし。
冷たい水で、寒いなか、土間で作業だった。
そんな思いでのおせち料理。
食べるのも嫌いだった。
甘い。
甘い。
甘い!!
ひたすら甘い!!
そんなこんなで、あんまり美味しいとは思えなかったおせち料理。
それが、今回は違った。
私が作ったおせち料理。
私が自分で作ったおせち料理。
ほんのりした甘さ。
濃すぎない味付け。
何より、作るのが全然苦じゃなかった。
簡単だった。
四日もかかったけど、かなり楽だった。
とてもとても美味しく感じた今回のおせち料理。
何が違ったのかな?と考えてみた。
自分で作った
とにかく「自分で」が大事だったのかもしれない。
昔はお母さんが作るから、その手伝いで頑張っていた。
特に、年末年始は学校も休みだから、手伝いをする以外やることがないから。
あくまで手伝い。
自分の意思ではなかったから、嫌いなものもあったし、美味しいと感じなかったのだと思う。
今回は、自分が食べたくて作った。
自分のためのおせち料理だった。
だから美味しく感じたのかもしれないなと。
歳を取った
次の理由は、単純に歳を取ったからではないかな?と。
私も今年、35になる。
あの頃の記憶は10歳とか。
思考も未熟だったし、嫌なこと等もたくさんあった時代だった。
そんな過去に、今までは囚われていたのだなと。
自分主導で人生を生きる
今回は、自分で献立も考えて作った。
誰に言われるでもなく、自分から作った。
自分主導。
これが一番大きいのではないだろうか。
やれ、「豆も食べなさい」とか言わなくてすむ。
自分の食べたいものを食べたいぶんだけ食べる。
自分が作ったから、人に食べさせるのもあまりない。
※息子や娘には「このお椀に入ってるのは食べなさい。」とそれだけは言っていたけれど。
とにかく、始まりは自分、そして終わりも自分。
そうやってできたことが、美味しく感じた理由だと思う。
今年の始まりがそうできたということは、人生、「自分から始まり、自分で終わる。」ができそうだ。
きっと今年も色々起こる。
自分から始め、自分で終わらせる。を意識して生きよう。