子育てのすれ違いはこう起こる

今朝は旦那も休みなので
朝からコンビニで買い物して
公園へ。

ご飯を公園で食べてから
子どもたちは遊具で遊び。

私は次女を旦那に任せて
子どもたちと思いっきり遊んだ。

いつもなら次女を連れているので
なかなか泥遊びとかも
付き合ってあげられない。

しかし、今日は身軽なため
遊具で鬼ごっこしたり
フリスビーやりあったり
泥遊びしたりした。

こういう遊び
ずっとさせたかったんだ。

家には砂場はないので
公園などでさせてやりたい。

しかし、短時間の遊びの時は
なかなかさせてあげられない
(次女もいるし)のが現実。

そう思うと、大人がもう一人いるって
幸せなことだなぁと思うわけだ。

旦那の対応の仕方にイライラ

で、次女を任せておいた
旦那の方はどうなったか?というと…

最初の10分くらいで
セルフねんねしてしまった次女。

そのまま旦那は携帯をいじっている。

まぁ、ここまでは良いと思うのだ。

そして、40分ほどしたら
次女の泣き声。

遠くから見ると
うつ伏せで泣いている。

それを横目に携帯いじってる旦那。

おいおい、そこは抱っこしたり
あやしたりするところやないかい?!
と、内心憤慨しながら
長女と長男を置いて様子を見に行く。

そして、近くまで行くと
次女が泣き止んだ。

どうも母ちゃんがいなくて
恋しくて泣いていたようだ。

旦那は「泣いて待ってたんだよね~」と。

おいおい、それは抱き上げる
ところではないのか?!と
また内心憤慨しながら
次女にパイパイをあげる。

そして次女は、落ち着いた様子で
パイパイを離したので
またまた長男長女のところへ。

それから10分くらいで
セットしていた携帯アラームが
なったので、終わりにした。

しかし、すぐに
終わりにはならない。

息子たちの洋服を脱がせ
下洗いし、着替えさせ
トイレに連れていく。

そこでまた
次女の泣き声がする。

おいおい、この20分の間くらい
泣かせずにおられやんのか?!と
またまた、憤慨。

泣いてるのに
抱き上げないってどういうこと?!と。

抱き上げない旦那を横目に
長男長女をトイレに。

通りすぎるときに
「抱っこしてほしいんちゃうかな?」と
さらっと言ってみた。

するとなんと

「やっぱそうなんだけどさぁ」って!!

※もしかしたら
違うこと言ってたかもしれないが
こうにしか聞こえなかったのだ。

もう、次女がかわいそうやん!!って
なりながらも
まずは長男長女を
車に放り込むまで次女は放置。

で、終わって旦那のところへ戻ると
次女はやっと抱っこしてもらって
指を吸いながら眠そうにしている。

私がやれるならやりたいんだ

ここで気づく。

旦那は旦那なりに
次女を観察しているし、
次女との間合いを取っているのだ。

だが、そういう対応にたいして
イライラしてしまうのは
「私ならこうしたいのに!」
「私ならこうするのに!」と
思っているからだ。

任せ切れていないということだ。

まぁ、今回は、
長男長女に集中したいから
次女をお願いね!といったわけでも、
決めたわけでもなかった。

ただ、次女がついてすぐに
寝るモードに入ってくれたから
そうなっただけ。

だから、

たまたま

任せることになったのだ。

でも、ずっとやりたかったのだ。

それを実現させてくれたのは
旦那の助けがあったからなのにね。

たまたまそうなるのは
心の準備としては
あまり良くない(^_^;)

が、とにかく、
旦那がいなかったらきっと、
私だけでもなんとか
公園での活動はしただろう。

そして、
次女をずっと
泣かせることはしなかった。

でも、それだと
長男長女への関わりが
中途半端になってしまう。

そうか、
ここまで書いて思ったが、
次女に懺悔の気持ちがあったのだ。

あ~泣いてるの放置して
泣かせて、ごめんね。って。

人を見てイライラする原因

よく、「私ならこうする」という。

これ、相手を変えたい気持ちがあるから
こういう言葉になるんだと、私は思う。

※心から相手の助けになろうと
思いながら同じ言葉を
言っていれば少し
違う意味になるが。

今回のことであれば、
旦那の対応は
「私ならこうするのに」と
考えていたこと。

これが「相手を変えたい」と
思っていることの現れなのだ。

わたしの思い通りにいかせたい。

そう思っている証。

長男長女に集中するためには、
次女はやはり誰かに任せるのが
一番良いことはわかっている。

それでも、やはり
旦那の対応が気になってしまう。

もはやこれは、
「私が育児してるんだから!」と
押し付けに近いのだと、ふと思った。

相手を変えることから抜け出すには

相手を変えたい!と、
ついつい主導権を握りたくなってしまう私。

そんな私が、
イライラしたのを抑えるために
使っていることがある。

それは多角的に物事を見ることだ。

※子どもたちにはなかなか
使えなくて困っているのだけれど(^_^;)

今回の件で言えば、
旦那からしてみれば
ごはんを買って公園で食べて
小一時間遊んだら帰るつもりでいたから
何も手に持ってこなかったのだ。

いつもなら
Kindle Paperwhiteなどを持ってきて
本を読んでいたりするのだが
今日は手持ちぶさただっただろう。

車内でノートを見つけたので
書き物でもあればいいかと思いきや
肝心のペンがなくて書けない(^_^;)

そんな中でも、文句も言わず
長男長女との時間を
優先させてくれた。

帰るよ~と、
こちらが言うまで
付き合ってくれた。

見通しのたたない時間
(何時に帰るとかわからない状況)に、
本来ならイライラしても
おかしくはない。

※もし私ならイライラして
無言で顔に出しているだろう笑

それでも何も言わず
いてくれた。

ただただ
次女の側にいてくれた。

だから、長男長女と
あんな遊びまでできた。

それだけで十分ではないか。

こんな風に
旦那の考えを考えてみると
少し、景色が違って見える。

多角的に物事を見るというのは

相手の立場に立って考えてみる

というのが言えるのではないだろうか。

まとめ

子育てですれ違い、
相手にわかってもらえない!と
感じたときは、相手の立場に立って
考えてみることをおすすめする。

これを言うと、
反感を買うのではないかと思う。

が、本当にそうなのだ。

例えば、子どもと母親は
四六時中一緒にいるから
子どものことは大体わかる!
かもしれないけれど
旦那は四六時中
仕事しているのだ。

子どものことを
どう扱っていいのかわからないのも
まんざらわからないでもない。

旦那なりに
頑張っているのだろうし
色々な思いがあるのだろう。

(言いもしないし、
やり方を変えることも
しないかもしれないが)

余談(あなた疲れてるよ。)

そこまで察しろ!なんて、
旦那も大人なのに、
なんで私だけが
そんなことしなきゃいけないの?!

そんなことできない!
私だって!
私だって!
察してほしいし!!

と言っているそこのあなたは、
きっと心の問題ではなく、
疲れているのだ。

そりゃ、旦那がいない時間は
3時間おきの授乳や
睡眠退行
予期せぬハプニングや
リープと言われるもの
子どもたちの体調などなど
一心に「子どもの命」を
一人で背負っているのだ。

疲れないわけはない。

仕事とはまた違った
「命を育てる」ための
パワーの使い方は、
半端じゃないことを、
私はよく知っている。

だから、
まずは旦那以外の人に子どもを預け、
子どもや旦那の見えないところで
一人で時間を過ごし
(十分寝て、美味しいものを
食べることをおすすめするが)

自分を労ることに集中してあげてほしい。

自分を労る。

それこそが、今のあなたが
一番やってほしいことだ。